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ゾロやサンジらが本来の居場所としていた“天世界”は、宗教的な創造主や象徴様である神々がおわすとされているような、俗に言う“天国”や汚れなき禁苑というような聖域のことではない。人が存在する陽世界とは“合(ごう)”という障壁によって隔てられていて自由に行き来の出来ない、別の次界のことであり。時間という時限軸の上における制約が甘く、過去や未来へ飛べるほどではないながら、移動には相当な時間が必要な遠隔地へ瞬時に移動が可能だったりと三次元的な範囲においては自在に行動が取れる次界だったりし。人世界に比べると一次上の次元にあたり、そんなせいで向こうからはこちらが把握出来ている。そんなことが可能な程度に、組成や成り立ちが異なる世界の住人なため、障壁越えが難しいというよりも移動した先でその身を保つのが難しく。必要あっての人世界へやって来た者や不慮の弾みなどではみ出した者らは…様々に奇跡を起こす存在だったり、はたまた精気欲しやと触れただけで相手の生気を奪ったりしたことから。目撃した人間たちからは、神だの悪魔だのと誤解されもしたことだろう。
“自然現象でさえ理解出来ないものをそのまま恐れた、そんなほど昔の話でしょうけれど。”
そんな天世界以外にも、別な次界は多々あって。だが、その殆どは、虚無空間のその向こう、把握も解析も不可能な亜空間か“負の次界”だったりし。天世界は、それらと人世界が不用意な接触や干渉によって喰い合わぬよう、均衡が乱れぬようにという監視を続けている。遥か昔に“混沌”から明と暗に分かたれた“世界”は、個に分かれての千思万考、無限の未来へ向かう成長や発展を選んだのであって。再び混沌という塊に戻ってはならないとする信条の下、天世界は…神ではないが世界の”番人”たる立場を取り続けている。それがそのまま絶対正義かと問われれば、聡明な者ほど答えに窮するところかもしれないが、
“少なくとも、食い合い、滅ぼし合うのは、願い下げよね。”
誰かさんが“女神”と呼ぶのもあながち大仰ではない存在の、うら若き上級精霊。東の天水宮、別名“春の聖宮”を統べる天使長であるナミが、光の加減によっては金茶に透けもする、ハシバミ色の瞳を時折瞬かせては、それは広々とした空間の中へ、視線を、意識を巡らせる。ここは天巌宮に設けられた“練念局”という部屋で、封印の一族“聖封”らが寄り集い、その念じを統合させての大掛かりな透視索敵を展開させる、言わば特殊な聖堂のような場で。この天世界の隅々、ともすれば陰世界全体を探査出来るだけの“場透過”すなわち広域哨戒がこなせる部署であり。天世界随一の聖域にして禁苑でもあるヴァルハラ神殿を厳重に護る結界空間から、錯綜座標の隙間、混沌の淵へつらなる大小の虚数界まで。個々人の心の中を例外に、拾えない空間はないとされている。日頃から常に発動している部署ではなくて、大事や特殊な事態が生じたおり、その対処にと立ち上げられる以外には、一部の機能が聖域周辺の監視にと動いているのみであるものが、先だってのとある騒動以来は…あくまでも極秘理にだが、かなりの警戒レベルにて稼働中。
“…大きな生気、意志なきエナジー。それを狙っちゃあ掻っ浚ってく存在、か。”
正体不明の無邪気なギャング。障壁通過が可能で、陰体を陽体化も出来る、とんでもない存在で。なのに何処の誰なのかがまるきり不明。障壁通過が出来るだけでも重々特異な存在だ。その兆しが現れた時点で誰かが気づくはずだろに、
“周囲に大人がいなかったってことかしら。”
世界の成り立ちや何やが異なる天世界の精霊たちは、人に比べて寿命が長いが、とはいっても子供である時期には子供としての能力しか持たない。たとえ数十年生きたキャリアがあっても、人世界でいう数十歳にあたる経験値を得る訳ではない。だから、とんでもない能力を持つにも関わらず、いかにも子供だったというその不思議な男の子が、どこの聖域にも所属せず、誰にも知られていない身なのが、ナミ以下、その事態へと関わった面々にはどうにも合点が行かないのだけれど。
“サンジくんやビビちゃんが言うには、
あくまでも無邪気な言動をする子供だったっていうのにね。”
それとも、姿は偽り、実は年経た老獪な悪魔だったということか? 次界障壁を物ともしないわ、途轍もないエナジー塊を収縮させての虚数暗渠(ブラックホール)にしてしまったり、陰体を陽体固化してしまうなんてな離れ技までやってのけ、なのに…これまで誰の目にも留まらぬままでいた能力者。子供たちばかりの集まりらしき“CP9”とやらの動向といい、黒鳳凰がらみのすったもんだが落ち着いたことで、そんなにも気を抜いていた自分たちだったということなのだろか。
《 あ…。》
取り留めのない思惟の中に意識を飛ばしていたナミの耳へ、監視官のかすかな声が届いた。天井の高い広々とした室内。その中央に立体座標図が水槽の中の小宇宙のように映し出されており、それを取り巻いての階段状になった雛壇に席が幾つも設けられ、任についた精霊管理官らが机上に浮かぶ光の繭玉へと念を込め、座標内の空間を念視で透過して異状がないかを浚っていたのだが。
「どうしたの?」
何かを拾ったかと念視担当の精霊へ声をかけたナミへ、彼女が座していた統括席の斜め下にいた聖封精霊が顔を上げ、
「エナジーが、生体反応じゃあない精気の塊が、じわじわと膨らんでいるんです。」
何かが前触れなしに次界移動して来て姿を現したか。だが、そんな移動や出現はいちいちチェックはしない。不審で膨大な精気が出現すれば、そこへとあの不思議な子供が現れるのなら、そんな現象へ網を張ればと思ったまで。
『罠を張った方が早くないですか?』
自然現象に頼るなんて、気の長いやり方かもしれないというのは、ナミも重々危惧していたこと。だが、無闇矢鱈に莫大な精気なんてものを繰り出すのは危険だから、よほどに手掛かりがないようならばと思いはしても、なかなかそちらへの手は打てなかったのだけれど。待機していたそのギリギリでやっと現れたこの兆候。
「これへ引かれて現れるかしらね。」
宙へと差し伸べた白い指。それがくるりと円を描けば、部屋の中央に展開されていた座標図が、小さな小さな点を拡大し、その周辺を見やすくする。
「ただ…。」
それを見つけた精霊が…天巌宮のそれなりの位にある者なはずが、幼い子供のようにおろおろしながら言葉を濁したと同時、ナミもハッとして眸を見張る。
「此処って…。」
忘れるものか。虚数世界のかなり奥向きにあった、錯綜座標の裂け目の深淵。紅蓮の谷という通り名がついていた、熔岩溜まりの灼熱の谷。あの忌まわしい玄鳳と、破邪という仮の姿から“淨天仙聖”へと脱皮をし、目映いまでの翼を広げ、神格者でなければ通過は出来ぬ“転輪天廻の封”を掻いくぐり、灼熱の坩堝に落下したルフィを救った誰かさん。その彼が聖なる力もて、復活しかけていた悪夢の怪物を滅ぼし封じた奇跡の対峙があった場所。
「ゾロの放った力で相殺されて、
滅びの熔岩流も玄鳳も、無に帰したはずだのに…。」
転輪天廻の封はそのままになっているがため、他の虚無海とも繋がりを断って、封じられた空間となったはず。何処とも行き来は出来ずのその場所へ、何かの気配が…精気が膨らんでいるという。
“そんな…まさか。”
あの悪夢が、天世界の首魁らが束になってかかっても被害甚大、制止は出来なかったほどもの怪物が、その忌まわしい性質、再生の力をもってして、今ここに再び目覚めたということか?
「ナミ様。」
「いかがしましょうっ。」
それがどれほどの不吉な気配かは、当時も同じ処置にあたった顔触れだけに、此処に居合わせた聖封たちにも重々理解出来ており。落ち着きなくの狼狽をし、ざわめきかけるそんな中、座標の中の光の点は、ぐんぐんとその大きさを増してゆく。まるで怨嗟に染まった不吉な星が、復讐という目標へと燃え盛ってでもいるかのように、呪いを食んで育ってゆくように。座標図の中の、単なる投影に過ぎないはずの光が…揺らめいて。そこから飛び出して来ようとしても不思議はないほどの、不気味な震え方をしたそのまま、一気に座標図を塗り潰すほどもの、勢いのある膨張を仕掛かったものが。
――― 見ぃ〜つけた♪
空耳のように、唐突な、短い、声がして。数十人が詰めていた“練念局”に居合わせた全員が、その声を探してのこと、一斉に宙へと視線をさまよわせたほど。悪戯っ子が隠れんぼでも楽しんでいるかのような、屈託のない声が弾んだと同時、室内へと吹き込んだ突風があって。
「きゃっ!」
「うわっっ!」
透過の操作にあたっていた面々が風に撒かれて声を上げ、光の繭玉の幾つかが、風に浚われ掻き消えて。一体何が起きたのか、しっかと把握出来た者は、結句、誰もいなかったその一陣の風が吹いた後。
「…っ、紅蓮の谷は? どうなったのっ!?」
一瞬でも注意を逸らしたことを悔しがり、急くような声を放ったナミを。ついのこととて見上げた者も何人かはいたが、大半は自分の任を思い出し、手元の座標図、繭玉を慌てて覗き込む。だが、
「………いません。」
「いない?」
「はい。」
部屋の中央に浮かんでいた座標図にも、不吉な光は見えなくなっており。
「先程 発生した精気も、光も消えましたし、声を放った何者かの気配もありません。」
そうとの報告を受け、眸を伏せて自ら透過を試みたナミは、
「…本当。」
白昼夢だったとしか思えぬくらい、そこには何にも残ってはいないと判る。だが、
“あの気配は…間違いなかったわ。”
間近に寄りもし、サンジが刺されたという突発事があったくらいだ。生きた心地がしなかった大事件の元凶だけに、気配も忌ま忌ましさも忘れるものか。それが…制止するすべもないまま膨れ上がったはずが、今度はあっと言う間に消え去ってしまったのだ。
“これって…どういうことよ。”
幼い子供の声。自分たちが警戒していた相手だろうか。だとして、この不吉な符合はなに? ルフィがその身を狙われた事件にまつわる場所、まつわる気配とともに現れた、幼い声の主は、果たして何をして去ったのだ………?
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*何だか、単なる“おたくツアー”の顛末記になりつつあるお話なので、
ここらでちょっと、本筋の要素もチラリしたくなりました。
何年かかって書いてる話なんだか…。(すみませ〜ん。)
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